絵本・その他

潜伏キリシタン図譜

定価110,000円(税込)

2020年12月25日印刷 2021年1月15日発行 限定1000部
菊倍判 上製 816ページ オールカラー
特殊製本加工DVD付 函入り


定価100,000円(税抜)
クレジットカード払いのみ

日本の潜伏キリシタンの有形無形の遺物・文化財を収録。
潜伏キリシタンの信仰の記録を後世に伝える貴重な一冊。


本書は潜伏キリシタンに注目して、各地域の時代背景を踏まえ、一方ではその信仰を支えてきた信心具や関連遺物類を、他方では彼らを取り締まった為政者側の史資料や没収物を、個々に図版として掲げて広く紹介するものである。(眩追厂澄峇行の言葉」より)

<目次>
発刊に寄せて ローマ教皇フランシスコ
刊行の言葉 眩追厂
総論 五野井隆史
第1章 九州地区
第2章 中国・四国地区
第3章 近畿地区
第4章 北陸・中部地区
第5章 関東地区
第6章 東北・北海道地区
年表

発行:潜伏キリシタン図譜プロジェクト実行委員会
発行人:眩追厂澄弊賛棺子大学学長)
監修:五野井隆史(東京大学名誉教授)
執筆:五野井隆史、前田万葉、片岡瑠美子、盡三明、中園成生、柿森和年、平田豊弘、後藤晃一、神山道子、大津祐司、小川信子、尾山茂樹、日向光徳、阿久根晋、久米雅雄、永井信弘、木越隆三、宗任雅子、小川早百合、上野景文、今野春樹、山口道孝、西田恵子、菊地 功、川村信三、濱田直嗣、大沢慶尋、角屋由美子、熊谷恭孝、市毛幹幸

前田万葉枢機卿
このたび、『潜伏キリシタン図譜』刊行できますことを大変ありがたく嬉しく思います。また、これまでさまざまな仕方でご尽力くださいました各方面のすべての方々にこころより深く感謝を申し上げます。
学校で学ぶキリシタン史は16世紀半ばのフランシスコ・ザビエル上陸にはじまり、島原の乱など江戸時代初期の弾圧でほぼ終わります。しかし世界遺産としての価値はむしろその後の潜伏と復活の営みに重みがあるのです。明治になってすぐ信教の自由が実現した−と思うのは早合点で最後の迫害は明治初期まで続きました。明治政府も禁教政策を引き継ぎ弾圧は続き、欧米諸国の批判に屈する形で禁教政策が解かれたのは明治6(1873)年でした。
久賀島(ひさかじま)で約200人の信徒が6坪の牢に閉じ込められ、そのなかに私の父方の曽祖父の家族9人が含まれていました。当時21歳だった曽祖父の3人の妹たちが亡くなったのです。生きて信仰を守った曽祖父の血を私は受け継いでいます。一方、平戸の牢に閉じ込められた母方の曽祖父は別の生き方を選びました。苦しさのあまり転んだといい、信仰を捨てたふりをして牢を出たのです。野崎島に帰ったが贖罪(しょくざい)の気持ちをずっと持ち続けていたそうです。同様に生きて帰った人たちと生活を切り詰め、野首(のくび)教会を建てたのです。取り調べる側にしてもそんなことはしたくない。口先だけでもいいから転んだと言ってくれと、そういう状況だったようです。私自身その場に置かれたとすれば、転ばないという自信はありません。転ぶというのも生きのびる知恵だったのであり、神様が与えてくれた道だったと思うのです。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、2018年6月30日第42回ユネスコ世界遺産委員会で世界文化遺産登録されました。250年にもわたる潜伏は奇跡だと、西欧では受け止められました。潜伏キリシタンについて世界に伝えるものがあると感じています。迫害が地域社会に与えた大きな傷痕と、それを乗り越えて許しあってきた人々の営みです。非キリスト教徒がキリスト教徒を助けたこともあった。転んだ人も転ばなかった人もいた。迫害をめぐるさまざまな人間模様のあと、人々は許しあって生きてきた。許しと和解の大切さを発信することができると思うのです。今回、出版される「潜伏キリシタン図譜」で許しと和解の大切さを感じてください。

盡三明大司教
このたび、『潜伏キリシタン図譜』刊行できますことを大変ありがたく嬉しく思います。また、これまでさまざまな仕方でご尽力くださいました各方面のすべての方々にこころより深く感謝を申し上げます。
キリスト教は、イエズス会宣教師ザビエル神父一行の渡来(1549年8月)以後、九州から東北に至るまで多くの日本人に受け入れられ発展しました。信者の数も、1600年初頭には約1200万人の全人口のうち50万人近くまで増えたと思われます。全国に教会が200ほど建造され、付属の初等学校に加えて、有馬と安土には中等学校のセミナリヨ、府内には大神学校のコレジオ、さらには病院や看護養成所などが設立されました。イエズス会宣教師がもたらした数学、物理学、天文学、航海術、地理学、印刷術、さらに音楽や絵画などの学問と芸術は、日本文化の近代化と近代科学勃興の基礎となったと言えます。ボランティアの「慈悲の組」も人間形成と隣人への奉仕によって精神文化に寄与しました。キリスト教と茶の湯の相互関係もありました。
しかし、天下を統一した徳川家康は、キリスト教の平等思想や貧者救済を危惧し、特に西欧列強の侵攻を排除するため、1614年1月「排吉利支丹文」をもってキリスト教を「邪法」と断じ、切支丹禁教令を全国に布きました。以後江戸幕府は、260年もの間、宗門改、五人組、絵踏、高札などによって厳しい禁教政策を実施しました。諸外国に対して長崎の港だけを開いた鎖国政策はキリシタン排除のためでもありました。このような状況の中で、一方ではいのちをかけて神への忠実さを貫いた殉教者は史料が残るものだけでも5,000人に及びました。他方では、特に長崎地方の浦上、外海、平戸、五島、また天草地方や福岡の今村などの信者たちは、寺請制度(檀家制度)に従って表面的に最寄りの寺の檀家となりながらも、教えと教会暦に通じた帳方、洗礼を授ける水方、帳方の連絡係の聞き役・ふれ役などの秘密組織を守り、信心会(組)を持ち、こころの中ではキリスト教の信仰を受け継ぎ、固く守り、伝えていきました。これが“潜伏”の意味です。
当時は、キリストを信じること自体が違法でしたので、“改心”すなわち棄教か、いのちを失うかの二者択一を迫られるという理不尽な扱いを受けましたし、周囲からは差別も受けました。しかし、信者たちは為政者に抗うことなく、声に出さずとも信教の自由という基本的人権を貫き、この世限りのものよりも神への信仰を優先させ、永遠に価値あるものを希望し続けました。彼らのこの生き方は崇高でさえあります。
幕末の1858(安政4)年に米、蘭、露、英、仏の五か国は江戸幕府に開国を迫って修好通商条約を結び、国内でも尊王攘夷論や討幕運動が起こって時代が大きく変わろうとしていました。そのような中、1865年3月17日、パリ外国宣教会のプティジャン神父が大浦に建設した天主堂を浦上のキリシタンたちが訪れ、神父に先祖代々守って来た信仰を表明したのです。これが「日本の信徒発見」と呼ばれ、キリシタンの復活を画する出来事でした。7代待ち望んだカトリック司祭の到来に勇気づけられたキリシタンたちはそれまで隠していた信仰を公に表明するようになりました。その結果、1867年7月15日未明に長崎奉行による一斉検挙が行われました。これが浦上四番崩れです。翌1868年5月、幕府の禁教政策を踏襲した明治政府は浦上のキリシタン3,400余名の流罪処分を決定し、20藩の22か所に順次配流したのです。この事態を受けて上記の五か国が政府を強く非難し、条約改正のため米欧に派遣された岩倉具視遣外使節団は行く先々で痛烈な非難を浴びたため、1873年2月「切支丹禁制の高札」が撤去されるに至りました。そして16年後公布された「大日本帝国憲法」第28条において信教の自由が認められるのです。これはキリシタンたちが一貫して信仰を固く守った成果の一つです。
こうして1873年3月に浦上のキリシタンは帰郷を許され、4月から7月にかけて次々に配流地を後にしました。そして最初にしたことは、教会を建設することでした。同じように各地で教会が建造され、それを中心にして潜伏時代を通して受け継いだ信仰を生きて、さらに後世に伝える共同体(集落)が存続してきました。
2018年6月30日第42回ユネスコ世界遺産委員会は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録を承認いたしました。長崎地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界中のすべての人々にとって価値を有すると認めていただいたこと、日本初のキリスト教関連の世界遺産となることを大変ありがたく嬉しく思いました。一言でいえば、日本における470年に及ぶ、他に類を見ないキリスト教の歴史にこそ普遍的な価値があり、世界遺産に認定された教会堂などは、その歴史を今に物語る“証し”だということです。
今回、出版される「潜伏キリシタン図譜」の刊行は、各地に残存するその証しを1冊の本にまとめ上げた唯一の本であります。キリシタンの繁栄と潜伏と復活の歴史を静かに証ししています。それぞれの背後にある人々の生き方と物語に思いを馳せ、こころの糧にしていただければ幸いです。

菊地功大司教
このたび、『潜伏キリシタン図譜』刊行できますことを大変ありがたく思います。また、これまでさまざまな仕方でご尽力くださいました各方面のすべての方々にこころより深く感謝を申し上げます。
潜伏キリシタンと言えば、すぐに長崎をはじめとした九州地方の歴史を思い浮かべますが、日本におけるキリスト教の宣教は、イエズス会宣教師ザビエル神父一行が1549年8月に渡来して以降、九州から東北に至るまで多くの日本人に受け入れられ発展しました。初期の宣教時代における活動を偲ばせる遺跡は全国各地に広がり、関東や東北各地においても、当時のキリスト教信徒が、厳しい社会情勢の中にあって生命をかけて信仰を守り、それを実践し、伝えていった歴史を肌で感じることができます。
かつて私は新潟教区の司教を務めておりましたが、例えば新潟県の佐渡島には、17世紀半ば頃に信仰を守って殉教したキリシタンのものと伝えられる「百人塚」が残されており、今でも信徒が定期的に訪れては、当時のキリシタンの遺徳にあずかり、彼らと同じような勇気を持って信仰を守りあかしすることが出来るようにと、その願いを神に取り次がれるように祈りをささげています。また冬になれば雪深い山形県の米沢には、上杉家の家臣が17世紀初頭に殉教の死を遂げた記録が残っています。当時の米沢には、現在の米沢のカトリック教会信徒数を遙かに超える多数のキリシタンが存在し、互いに支え合いながら愛の奉仕を実践していたと伝えられています。その遺徳は現代に伝えられ、地元においても顕彰され続けています。これ以外にも、東北各地にはキリシタンの遺跡が多く残されており、岩手県生まれの私は、そういった東北のキリシタンの先達の歴史に触れる度に、信仰における偉人たちの存在を、幼心に誇らしく思っておりました。
勇気を持って信仰を守り抜き、殉教の死を遂げたことは、信仰者として褒め称えられる栄誉でありますが、同時に当時のキリシタンの生き方が多くの人の尊敬を集めていたという、例えば米沢でのキリシタンへの評価の言い伝えを知るとき、現代に生きるわたしたちも、その遺徳に倣って、同じように多くの人から尊敬を集めるような生き方をしたいものだと思います。
イエス・キリストの伝えた福音を、毎日の生活の中で、その言葉と行いを通じてあかししていったからこそ、多くの人から尊敬を集めるようになったのです。人生をどのように生きるのかは、現代に生きるわたしたちにとっても重要な課題です。キリストへの信仰は、実際に生きられてはじめて意味を持ちます。キリストへの信仰は、単なる知識の積み重ねではなく、キリスト自身が人間への愛のために十字架で命をささげたように、目に見える形でのあかしの言葉と行いを必要とします。
日本における信仰の先達の存在が、今回の「潜伏キリシタン図譜」刊行を通じて、ひとりでも多くの方の心に届き、その遺徳に倣って、互いに助け合い支え合う慈しみに満ちた社会が実現されるように祈っています。


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