鎌倉・歴史

青岳尼幻想 鎌倉尼五山第一位太平寺住持の実相

定価1,430円(税込)

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木村敢・著

「青岳尼は、
里見に連れ去られたのか?
若くして亡くなったのか?
子がいなかったのか?
――歴史の真実はいかに?


鎌倉、房総、高野山、そして鳥取県倉吉――広範に広がる由縁の地を踏査し、鎌倉尼五山第一位・太平寺の住持、青岳尼の生涯を長年検証し続けてきた著者が、今、確信をもって真実の解明に挑む。
多くの謎を残す、女性の真相とは――。

目次
  はじめに――鎌倉と私、そして太平寺・青岳尼との「出会い」
一、鎌倉五山と尼五山、そして太平寺・青岳尼の痕跡
二、青岳尼の生まれから太平寺住持への人生
三、青岳尼は何時どのようにして太平寺を棄て安房へ渡ったか
四、安房へ渡った青岳尼と里見一族
五、青岳尼の安房での生活と子供の有無、そして没年
六、岡本城と興禅寺、光厳寺
七、館山城と泉慶院、慈恩院
八、高野山へ飛ぶ……塔頭光明院(妙音院)、西門院各住職との出会い
九、安房の里見一族および青岳尼ゆかりの寺社とこれらに対する援助
十、義頼(前名義継)、義康、忠義への代替りと秀吉、そして家康への天下人の変遷
十一、大阪(坂)の陣直前の安房里見の突然の改易と倉吉への転封、倉吉へ飛び、里見の終焉地を見る
十二、高野山の忠義、娘、妻の三基の供養塔を調べる
  おわりに――再び青岳尼幻想
附録 鎌倉浄光明寺冷泉為相墓の玉垣寄進者の解明

〈著者プロフィール〉
木村 敢(きむら かん)
弁護士。東京大学法学部卒業。東京銀座に弁護士事務所を開いて50年近くになる。歴史研究は、西洋史を先行し、早くも中学生の時に歴史部を創立して、ミノワ文明(クレタ島)、キクラデス文明(サントリーニ島)のエーゲ海文明から始める。現在までに世界中の歴史遺産を廻り、世界160ヶ国余りを訪問し、なお継続中。途中から日本史にも入り、平安末期から戦国期までの城跡、砦跡、物見台、烽火台跡など5、600ヶ所を訪問。さらに神社仏閣は、鎌倉訪問だけでも、800回以上。同時に、ほぼ毎年中国の寺社も廻り継続中。法律関係、歴史関係の執筆のほか、「仏教伝来から鎌倉仏教へ」、「世界のお墓の話」、「アレクサンダー大王東征と仏像の誕生」などの講演活動も行う。
現在、旧鎌倉五山第一位建長寺派の機関誌「和光」にも連載・執筆中。


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